苦手な事を克服するために苦手なことばかり挑戦するのは人生損してる

苦手意識のある犬オピニオン(考えたこと)

日本では昔から、

◆苦手を克服するのが自信を付ける近道
◆苦手な事は無くさないといけない
◆苦手な事を苦手なままにしてはいけない

などといった考え方を他人に押し付ける風潮があります。苦手な事を克服し続けることが人間的成長に繋がると信じて生活している人も居るほどです。

確かに自分にとって苦手な事をどんどん克服して得意なことに変えていければ人生楽しくなるでしょう。

しかし現実は人それぞれ向き不向きが存在し、どんなに克服しようと頑張っても人並みにできるようにならない人だって居るのです。

こんなことを書くと、

いつまでも苦手を克服できない人は得意になるまで頑張ってないからじゃないの?

向き不向きなんてただの言い訳だ!苦手な事でもやらないといけない!

と言いたくなる人も居るでしょう。

克服できるまで頑張って努力すればいつか得意になるという考え方は合っているように思うかもしれないですが、残念ながら向き不向きはあるのです。

苦手を克服するためだけに頑張り続ける人生を送ると損することになる理由をこれから書いていきたいと思います。

苦手な事を克服するためだけに頑張り続けると損する理由

完全に向いてなかった場合は時間の無駄になる

人によっては本気で克服しようが無いほど苦手な場合というのがあって、この場合は得意になるまで頑張り続けるという次元の話じゃ無くなってしまいます。

人生単位で見ても一生無理な人は無理なままでしょう。

以下に僕が今まで挑戦してみたものの、全く向いてなくて時間を無駄にした例を挙げていきます。

ルービックキューブに挑戦していた頃の話

僕はルービックキューブなどの空間認識能力を必要とするパズルゲームが極端に苦手であり、自分1人の力で解けたことが人生で一度もありません。

ルービックキューブは昔友人が持っていたので、一時期興味を持って挑戦したことがあるのですが、結局どうすれば解けるのか理解できずに終わってしまいました。

パズルの得意な友人は、キューブの側面を見ただけで解法が頭の中で想像できるらしいのですが、僕にはその感覚が一切理解できませんでした。

全然解けない僕を見かねた友人に

『ある程度練習すれば分かってくるようになる』

と言われ、友人の言葉を信じて1ヶ月くらいルービックキューブ攻略の練習をしていた時期もありました。

しかしその間に解けた回数は0回でした。

どんなに側面を同じ色で埋めたとしても、必ずどこかが色違いになってたり順番がめちゃくちゃになったりして、全くクリア出来る気がしませんでした。

おそらく友人は空間認識能力がずば抜けているのだと思いますが、どうすればそのような能力を開花させられるのか今だに分からないし、一生できるようになる気がしません。

そのため僕にとってルービックキューブに挑戦した時間というのは全て無駄にしかなりませんでした。

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苦手な国語を克服しようと頑張っていた頃の話

別の記事で既に書いてますが、僕は極端に国語が苦手でした。

高校時代は本当に苦労してしまい、自分で参考書を買い漁ってひたすら解きまくったり、解答解説と睨めっこしたりして国語力を鍛えようと頑張っていました。

どうしても理解できない所は先生に聞いてみたり、国語の得意な友人に教えてもらったりしてました。

しかしそれでも国語力が向上することは無く、模試でいつも50~100点の間をうろうろしていました。

センター試験本番では運良く適当に選んだ解答が当たっていたりして6割以上取れてしまったという感じです。

結局、高校時代に参考書を購入してまで頑張って勉強したにも関わらずこれですから、時間と参考書代を無駄にしてしまったと言っても過言ではないですね。

国語で高得点を取れる人と取れない人は一体どこが違っているのか、大学院を卒業して数年経った今でも理解できていません。

この話に関する具体的な内容は以下の記事に書いてあるので、興味ある方はどうぞ。

チームで行動する場合にほとんど足を引っ張ることになってしまった話

僕は昔からチームでの行動を苦手としていました。

今でも本当に苦手で、社会復帰しようと思わない理由の一つとなっています。

特に誰からの指示も無く、チーム内の雰囲気だけで何をすればいいか察しないといけないような場合だと本気でどうすればいいか分からなくなり、足を引っ張ることになりました。

言われなくても理解しろと言われたら余計に理解できずにパニックになってしまい、その様子を見たチームメンバーに『お前使えないから一生そこで突っ立っとけよ」』みたいな感じで言われ、本当に1時間くらいその場で突っ立っていたこともありました。

指示があったとしても、指示の裏に隠された暗黙の意味を理解できず、言葉通りに受け止めて行動した結果怒られてしまい、萎縮して棒立ちしてしまうといった感じでした。

自分もこのままではいけないと分かってはいるのですが、どうすれば他人と同じように要領よく立ち回れるのか、普通に仕事が出来るのか、どうすれば足を引っ張らずに済むのか、考えても考えても頭の中は真っ白な状態で全然理解できませんでした。

今思えば、学校生活でチームで行動させられた経験や、短い期間ですが会社でチームプレイを要求された時間など、全て自分にとっては無駄な時間だったと思います。

自分がチームに関わってしまうだけで周りをイラつかせてしまうし、仕事になるとその分会社にとっても損にしかならないわけなので、自分だけじゃなく周りの人にとっても無駄な存在、いらない存在となってしまうのです。

生まれて27年間このような感じなので、自分のこのような特性は一生直せるものではないと開き直り、個人でも挑戦できるネットビジネスで生きていこうと努力している最中です。

苦手な事に挑戦している間はずっと苦しい

苦手を克服しようと頑張っている時って、ものすごくストレスを感じたり嫌な気分になったりすると思います。

非常に長い年月をかけてようやく克服した場合はものすごい達成感があるかもしれませんが、果たしてその達成感だけでそれまで積み重なってきた辛い思いや経験が報われた気分になるかどうかは正直言って分かりません。

『達成感はあるけど、こんな事にここまで時間をかける必要は無かったかもしれないな』と後になって思ってしまう可能性も十分にあるのです。

それならば無理して苦手な事に付き合わず、得意なことばかりやって伸ばしていった方がまだ良いんじゃないかと僕は思います。

人より出来ない位置からスタートするため、なかなか解決できない悩みに苛まれることになる

得意なことであれば、続けていく内に自然と自分の中で改善案が思いつき、その都度改善を加えていくことでさらに得意になり、気づけば他人の追随を許さないようなところまで極めてしまうこともあるでしょう。

しかし苦手を克服するためだけに頑張るとなった場合、そもそも他人に比べて出来ない位置からスタートすることになるため、どのようにすれば人並みに出来るようになるのか分からないという悩みに襲われることになります。

実はこれって非常に厄介な問題でして、【どうすれば苦手な事を人並みに出来るようになれるのか】という悩みに対する答えはほとんど用意されておらず大抵の場合は自分一人で頑張って暗闇の中を模索するかの如く努力していくことになってしまいます。

人並みに出来るように努力しようとするだけで、普通の人が考えもしないような悩みに度々襲われることになってしまうため、何度も何度も手詰まりを起こしては悩み続けるハメになります。

普通の人からしたら『一体どうしてそんなことで悩んでいるんだろう?』と思うわけなので、教えようがありません。

そのため、こういった悩みに対する解決策を教えてくれる人は基本的に誰も居ません。

分かりやすくするために極端な例を以下に示してみます。

1 + 1 = 2

誰が見ても理解できる式ですが、もしかしたら全く理解できない人も居るかもしれません。

人並みに算数ができるあなたが、全く算数が出来ない人に上記の式を教えようと思ったら、どのように教えますか?

おそらく全く思いつかないと思います。

普通の人からすると当たり前すぎるし、理解できない感覚が理解できないと思います。

1に1を足したら2になるでしょ?って教えても、それが分からないから聞いてるんだけど・・・って言われたらどうしようも無いですよね?

+の意味が分からないって言われた時に、足せばいいんだよって教えたとしても、足すって何?って言い返されたら教える以前の問題ですよね?

だからこそ、人並みに理解できなくて困っている人に対する解決策というのは世の中にほとんど出回っていないのです。

人より苦手な事を克服するというのはまさにこのような感じに近いものがあります。

どうすれば人並みに出来るようになるのか誰も教えてくれない中で茨の道を突き進む感じになるので、克服できるその時が来るまで誰にも理解されずに悩み、もがき苦しむことになりやすいです。

まとめ

苦手を克服するのは非常に大事な事だと教えられますが、現実ではそういかない場面というのがよくあります。

本当に向いてない人はいくら練習させても、いくら作業させても慣れることができず、人の足を引っ張り続けることになります。

そういった人は無理に克服しようと思わず、何か得意なことを見つけた方が圧倒的にいいと思います。

得意なことが無いのであれば、苦手じゃないこと、人並みにできることを選んだ方がずっといいでしょう。

その方がずっと人生得すると思います。

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