挨拶しない人は人間的にクズだとか常識が無いという意見が多すぎるが、必ずしもそういう事は無いと思う。

不快な挨拶オピニオン(考えたこと)

挨拶は人間関係の基本中の基本であり、これすら出来ないのは人間としておかしい、失格だという風潮があったりします。世の中には挨拶する事のメリットばかり語り、中には他人に強要したりする人種も居たりします。挨拶にはメリットしかなく、挨拶しない選択を取る人の気持ちが全く理解出来ないと思っている人達も数多く居るようです。

しかし僕の経験則では全くそう思いません。確かに挨拶そのものが面倒に感じたり、必要が無いと考えて行動している自分勝手な人達も居ますが、中には他人と関わる事が心の底から苦手で、挨拶そのものに不安を感じて避けてしまったりする人、挨拶しないといけないと分かっているけれど恐れや不安の感情が前に出過ぎて口に出せないだけの人など、精神的な問題で出来ない人だって居るのです。

前者のような人達に関しては世間から批判されたりするのはしょうがないと思います。しかし現実問題、世間では後者の人達も含めて「人間・社会人として失格」「マナーがなってない」「碌な教育を受けてない」「性格が捻くれている」「頭がおかしい」等と批判したりこき下ろしたりする人があまりにも多すぎます。

精神的な問題で挨拶が出来ない僕みたいな人間は以下のような事を考えながら日々を生きています。

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挨拶をきっかけとした世間話が苦手

挨拶を交わす事によって周りの人達との調和を図れる、自分が敵でない事を周囲にアピール出来る、トラブルを避けられて安心感を得られる・・・などと、世間ではこれらが挨拶のメリットとして取り上げられる事が多いです。

しかし、僕のように日常生活で普段関わる事の無いような人との世間話を極端に苦手とする人種にとっては何のメリットにもなりません。

挨拶をきっかけに何気ない世間話に繋がるかもしれない・・・という恐怖・精神的不安、それによって動悸・息切れ・心拍数の増加による苦痛が圧倒的に上回るため、僕個人に関して言うと知らない人との挨拶にあまりメリットを感じないのです。

要するに世間で言われているメリットというのは、僕のような極端に人と関わる事が苦手な人種にとってはデメリットにしかなっていないという事です。

1つだけ例を挙げるとすると、僕は一時期親の飼っている犬の散歩に無理やり行かされていた時期がありました。犬の散歩をした事がある方なら分かると思うのですが、ほぼ必ずと言っていい程近所の飼い主さんと遭遇し、したくもない挨拶を余儀なくされます。

別に犬の散歩が好きかつ、近所の人との世間話等が好きな性格であれば全然問題無い事だと思いますが、僕は昔から普段全く関わらないような人との世間話はおろか、たかが挨拶さえ恥ずかしくて億劫なので、出来ればなるだけ関わらずに居たい性格なのです。

しかし近所の飼い主にバッタリ出会ってしまった以上、ほぼ必ずと言っていい程向こうから挨拶してくるので、こちらも相手に不快感を与えないよう挨拶し返すのですが、これがもう僕にとってはストレス以外の何物でもないのです。

挨拶を交わした後に苦手な世間話に繋がるかもしれないと考えるだけでも心拍数が上がってどうしようもなくなります。挨拶後にそのまますれ違うだけなら全然いいのですが、全員が全員そういう人ばかりではなく、中には世間話に持ち込んでこようとする飼い主も居た為、こういう時は本当に気まずくてどうしようもなかったですね。はっきり言ってこちらから話せる事など何一つ無いのに・・・と思っていました。

出来るだけ挨拶されないよう他の飼い主に出会っても全然関係無い方を向いて気づかないフリをして回避しようとした事もありますが、それでも9割くらいは挨拶されてしまうので、こちらとしては不必要な挨拶はしてこないでくれと思っていたりしましたね。

挨拶を強要してくる人が苦手①

大学時代にあったケースなのですが、グループワークで知り合った人の中に挨拶を強要してくる人が居ました。その人とは結局その授業でしか関わらず、半年後くらいには授業が被る事も無いまま全く出会わなくなりました。

しかしある時、かつてのグループワークで知り合った人の内の1人と学内ですれ違ったタイミングがあったらしく、その際にその人が僕に挨拶をしたみたいなんですね。だけど僕はそれに気づかずスルーしてしまいました。

すると何日かしてからまたその人とすれ違った際、「この前すれ違った時に挨拶したのになんで返してくれなかったのか」と言われてしまいました。その時はびっくりして、とりあえず別の事を考えてて全然気づいてなかったと説明して事無きを得ましたが、特定の授業のグループワークで少し関わった事があるくらいで、しかも大して友人でもないような人にそこまで言うか?って思いましたね。

もしかしたら向こうは僕の事を勝手に友人と思っていた可能性はあったのかもしれませんが、僕からすると一部の授業でしか会話した事が無いくらいの関係だったし、プライベートで一緒にどこかに出歩いた仲でもないので、まさか挨拶に気づかずスルーしてしまっただけでここまで言われるとは思ってもいなかったわけです。

この時の心境としては、面倒くさい相手と出会ってしまったもんだな~・・・という感じでしたね。まあ結局その後、その人とは1度もすれ違う事もなく、二度と会うことはありませんでした。

過去に関わった事のある知り合いだからと言って見かける度に挨拶しまくり、返さなかったら気にして後で文句言いに来たり他人に愚痴ったりするような人はひたすら面倒なだけなので関わりたくないですね。

挨拶を強要してくる人が苦手②

またまた大学時代にあったケースなのですが、挨拶を強要してくる教授が1人居ました。

その教授の授業のオリエンテーション的なものを受けた後、そのまま黙って荷物を持って教室から出ようとしたんですが、突然何故かその教授が僕に「おい、お前」と声を掛けてきました。その時教室から出ていこうとしている学生は他にも何人か居たのですが、何故か僕だけに苛立ったような感じで声を掛けてきたのです。

恐る恐る「何でしょうか?」と返事してみたら、その教授は
「挨拶も無しで帰るつもりなんか?」

この時の僕の心境としては、
「面倒くさい教授に当たってしまったな・・・」

といった感じでしたね。それと同時に

「挨拶しなかっただけでここまで負のオーラ剥き出しにするかな普通・・・この教授結構ヤバい人なんじゃないか・・・」

などとも思った次第です。

とりあえず適当に「あ、すいません、ありがとうございました・・・」と返事して教室を出た所、後ろから続いて出てくる学生達も皆挨拶して出てきていました。

おそらく見せしめの為に偶々僕に声を掛けたのでしょうが、今その時の記憶を思い出してもイライラしてしまいますね。僕に言うんだったら何故他の学生にも言わなかったのかと・・・。

基本的に挨拶というのは他人に強要したところでかえって面倒な人だと思われるだけであり、今後気持ちよく挨拶出来なくなる原因にもなるんですよね。実際この日以来、この教授と学内ですれ違ったりする時に嫌々挨拶してましたからね(笑)

他人に挨拶を強要してまで挨拶されたい人って一体何を考えて生きているんでしょうか。今回紹介したケースの場合だと、せっかく授業してやったのに挨拶無しで帰るとか腹立たしいとでも思ってたんでしょうか。もしくは挨拶しないコイツの為を思って今のうちに注意した方がいいとでも思ってたんでしょうか。

どちらの理由にしろ、結局は他人に挨拶を強要する人と言うのは基本的に上から目線であり、自分は挨拶されて当然の存在であると思いこんでいるわけです。

それに自分の経験上、挨拶を強要してくるような人は他の場面でもよくこうするべきだああするべきだお前には常識が無い等とマウントや揚げ足を取って相手を否定しまくったり、他の場所で気に入らない人の愚痴をひたすら語ってたり等、碌でない人間が多かったように感じます。

僕はこういった人が本気で苦手ですし、人が挨拶をしないことに対して無条件に否定的な評価を下すことは適切ではないと思います。今後似たような人と関わるような機会が出てきたとしたら、なるべく早く関係を断絶して面倒事を回避したいと思います。

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挨拶する相手は前提として”いい人”でなければ意味がない。

挨拶は良い人間関係を構築する上で大切だと言うのは認めますが、前提として“相手がいい人”である事が条件になります。

挨拶する相手が心から信用・信頼出来る人、もしくは親友・友人であるなら、さすがに僕でも普通に挨拶します。

しかし人間というのは誰もがいい人であるとは限りません。中にはこちらの事を狡猾に利用しようとしてきたり、時間を無駄に奪って来ようとしたり、面倒事に巻き込んでくるような人も中には居るわけです。

挨拶をきちんとする人だからと言って、その人が信用に足る人間かどうかはまた別の話です。一見常識があるように見えても中身が危ない人間というのは結構居たりします。

だからこそ僕は、今まで関わった事の無いような見知らぬ人と不必要に挨拶を交わしたくないのです。

挨拶が大事だからと言ってすれ違う同期、同僚、先輩達に手当たり次第挨拶しまくり、その結果として面倒な人人間的に問題のある人などと関わりを持つようになってしまうと、長期的に見て不利益を被る事の方が多かったように感じています。

無駄に元気の良い挨拶をしてくる人が苦手。

体育会系の人に多い気がしますが、無駄に大きな声で元気良く挨拶する人が居ます。中にはドスの効いた感じで ウィーッス!! オッス!!みたいな声出してくる人も居ましたね。

元気良く挨拶されて嫌な気持ちになる人は居ない
などという暴論を吐く人が中には居ますが、僕は全くそう思いません。たとえ元気の良い挨拶だったとしても、相手を不快にさせてしまうような挨拶も存在する事は確かです。

大学時代にとある教授(挨拶を強要してきた教授とはまた別の人)がすれ違いざまにドスの効いた声で元気良く挨拶してきていたのですが、その時に僕が感じていた気持ちとしては、
「(妙に圧倒される感じがあるからもっと普通に挨拶して欲しいな・・・)」

といった感じでした。

爽やかな挨拶であれば全然問題無いのですが、相手を威圧する為に挨拶交わしてるんじゃないかと思えるレベルで気の張った人も居た為、このケースに出くわした時は結構気まずく感じるし、早くどっか行って欲しいとさえ思ってしまいますね。

嫌いな相手に挨拶しても、もしくは挨拶されても不快感しか感じない。

人間生きていると、誰しも自分とは全く性格が合わない人と出会う事は多々あると思います。そのような人が自分に元気良く挨拶してきた所で、正直こちらとしては全く気分的に良くないですね。勿論自分から苦手な人に挨拶した場合も同様です。

嫌いな人に遭遇した時の対応として「挨拶した方が負け」と考える人と、 「挨拶しないような大人げない真似をした方が負け」と考える人の2種類が居るようです。

世間一般的には前者側の人間は大人として常識が無いだとか、やってる事が子供と同じでみっともない挨拶しなかったらクズと同じと考える人が多いようなのですが、僕は前者側の人間なんですよね。そもそも挨拶しない人=クズなどという考え方はしておりません。

何故僕が挨拶に関して世間一般的な考えに反して行動しているのかと言うと、結局の所は周りにどう思われるかより、自分にとってストレスを感じない選択をした方が人生もっと有意義になるんじゃないかと考えているからです。少なくとも自分の場合は嫌いな相手に挨拶を交わして状況が良くなった試しが無かったですし、本当にストレスが溜まるだけで鬱になりそうでした。

とにかく嫌いな相手にバッタリ出会って挨拶を交わした所で、1億%気分が良くなるわけがないですね。お互い気分が落ち込むだけで意味が無いと思います。中には片方が苦手だと感じていて、もう片方は全然そう思ってないケースもあるので、その場合はもっと面倒ですね。

自分の性格と全く合わない相手との挨拶は逆に自分を苦しめる事に繋がるし、無理やり良好な関係を築こうと思っても相手はただこちらを都合良く利用しているだけだったりするので、本当にこういうケースに当たった場合は早急に関係を断ち切った方がいいと思います。

ただ、嫌いな相手が直属の上司とかだったりすると会社を辞めない限りどう足掻いても挨拶から逃げられないんですけどね・・・

自分から挨拶すれば気分が良くなるなんて事は全くない。

挨拶する相手が普段から親しい間柄の友人、同僚、先輩後輩等であれば自分から挨拶する事は当然のようにあります。しかし相手が見知らぬ他人であればわざわざ自分から挨拶するなんて事はまずありません。勿論相手がご近所の人であったとしてもです。

以前強制的に犬の散歩に連れて行かされていた時は、よく近所のおじさんおばらんらしき人に向こうから挨拶されてはいましたが、どうして普段の私生活で全く接点の無い僕なんかに挨拶してきたのか今考えてもよく分からないのです。

自分から挨拶を仕掛ける事で気分が良くなるという事を書いているブログ等があったりしますが、僕に挨拶してきた近所のおじさんおばさんはそういうタイプの人間なんでしょうか。僕にはその感覚が全く理解出来ません。

むしろ自分から挨拶を仕掛けてみたら相手が人間的・人格的に問題のあるような人だったら、後々後悔するような出来事に巻き込まれる可能性があるじゃないですか・・・。まあ自分も人の事あまり言えないかもしれないんですけどね。

その為、普段の生活で絶対関わる事が無いと分かっている人に自分から挨拶をするなんて事はこれからも無いと思います。

挨拶をしっかり出来る人間が信用に値するとは限らない。

しっかり挨拶が出来た方が他人から信用されやすくなるのは事実だとは思いますが、実際の所、挨拶だけでその人の良し悪しは判断出来ないと考えています。

見かけ上どんな相手に対しても穏やかで気さくに挨拶出来るような人が、実は裏で他人の悪口言いふらしまくり、愚痴言いまくりの厄介な人だった・・・なんていうパターンは何度も経験があるからです。

最初の挨拶の印象が良くても、後になってその人の中身を知った時にショックを受けるのが嫌だし不安なので、そういう事もあって初対面時にうまく挨拶を交わせない事が多いですね。

「碌に挨拶出来ない奴にまともな奴は居ない」などという偏見を面と向かって言われた事もあります。しかし僕の経験上では、初対面時にお互い挨拶すらうまく交わせなかったとしても、話していく内に意外と気が合う事が分かったり、思っていたよりまともな考え方や自分軸をもって行動している人間だと理解出来た時の方が、圧倒的にその後の人間関係が良かったりする事が多かったです。

急に挨拶されるとかなり焦って何も返せなくなる

自分から挨拶する事が億劫な人ほぼ全員に当てはまるかもしれません。とにかく自分から挨拶する事が怖いし、出来るだけ通りすがりの人とも目を合わさずに素通りする事だけを考えている為、急な他人からの挨拶にすら対応出来ません。

勿論挨拶されたからには何か返そうとは思うんですが、その時の頭の中はグルグルテンパっていて、そのまま挨拶をオウム返しするという発想すら思い浮かばなくなるんです。それであたふたしている間にそのまま気まずい空気のまま通り過ぎてしまうという訳です。

運が悪ければ「挨拶くらい返せないのか」とキレる人も居たりして、その時は余計にテンパってあたふたしてしまうので余計に何も言えなくなるんですよね。それで気づけば「常識が無い」だの、「そんなんじゃ社会でやっていけない」だの説教されたりする事が過去にはありましたね・・・。

挨拶されなかっただけで怒る人は関わってはいけない人種だと思っている。

挨拶しない人、出来ない人の方がヤバいんだから怒られても仕方が無いと考えている多数派の方には理解できない感覚かと思いますが、僕のように自分から挨拶がうまく出来ない人種にとっては、挨拶しなかっただけでムカついたりキレて来るような人の方がヤバいし、そういう人の方が心が狭く、相手の事を全く思いやってないんじゃないか・・・等と本気で思っていたりします。

勘違いで挨拶を返したら嫌な対応をされた事が何度もある。

本項目はただのトラウマ体験になります。

おそらく大体の人は経験があるかと思いますが、知り合いに挨拶されたと思い、こちらも挨拶を返しつつ振り返ったら知らない赤の他人だったケースが稀にあります。

まあただの勘違いなので、「勘違いでしたすみません」で済む話なのではあります。しかし僕の場合、運が悪すぎるのか、勘違いして挨拶を返してしまった時に限って相手が

「お前じゃねぇよ」
「テメェに言ってねぇよ」

「あなたじゃないんですけど」
「お前誰やねん」

などと真顔で、もしくは不機嫌そうな顔で言われる事が多かったです。

運が悪いというよりは僕自身が舐められやすい見た目をしていたり、何かしら人を苛立たせる雰囲気を醸し出してるからなのかもしれませんが、勘違いで挨拶を返してきた相手にここまで言うのは失礼過ぎるだろうと、今思い出しても腸が煮えくり返る思いです。

まとめ

とりあえず今までの人生で自分が感じてきた挨拶に対する違和感を思いつく限り書いてみました。

今は顔出し無しの個人YouTuberとして生活している為、人に挨拶する機会がほとんど無いので人間関係で困っている事はほぼ無いです。しかし稀に過去の嫌な記憶を思い出して気分が落ち込む事があるので、その嫌な記憶の中の一部を今回書き連ねてみた感じです。

「あなた個人の精神的苦痛や不安とか知らないよ」
「挨拶は呼吸するのと同じくらい自然に交わすのが当たり前だよ」
「挨拶くらいしてくれないと良好な人間関係が築けないよ」
「挨拶してくれない人って信用出来ないよ」
「挨拶してこない人は何考えてるか分からないから怖いよ」
「やっぱり挨拶にはメリットしかないじゃないか」

などという声が聞こえてきそうですが、精神的な問題を抱えている人にそんな事言ったところで、当人達も「簡単に自分から挨拶出来たら苦労しない」と思っていたりするし、ただ挨拶が出来ないってだけでクズ呼ばわり、人間失格、頭おかしい人認定などされたら当然傷つきます。

傷つきたくないなら自分から挨拶すればいいだけの話じゃないかと言われても、それが出来ないから悩んでいるのです。

生まれて30年以上ずっとこの性格のまま生きてきましたし、いつかは知らない人とも自然に挨拶出来るようにならないといけないと自分なりに頑張っていた時期もありました。

しかし、そう簡単に自分の性格を変えられるはずもなく、結局自分自身の本質的な部分は変えられなかった為、自分はそういう星の下生まれてきた人種なんだなと思って日々過ごしています。

大勢の人には共感出来ない内容かもしれませんが、世の中には挨拶そのものに苦痛を感じて避けてしまう僕のような人種も一定数存在すると思うので、こういった人も中には居るんだなと理解してもらえるだけで十分です。

あまりまとまってないですが、挨拶のメリットばかり取り上げてるブログがあまりにも多かったのが気持ち悪く感じていたので、参考になる部分があれば幸いです。

コメント

  1. Mind より:

    記事をよませていただきました。

    私は筆者さんが苦手とする「挨拶できない人を悪く思うタイプ」なので、共感できるかと言ったら難しい部分が多々あります。

    ただ、挨拶をしない人はこういうことを考えてるんだなぁという勉強にはなりました。

    私は挨拶を強要したりはしませんが、挨拶したのに返されない、同じ職場で出勤時に挨拶できない人は内心「この人は苦手なタイプ」と思ってしまいます。

    両親が厳しかったので、挨拶しなければいけない場面(親戚に会う、学校の先生、近所の人の前など)で挨拶ができないと、殴られたりした記憶があります。その時も「人間として当たり前のことだ」と教えられたので、一般常識として挨拶するのは当たり前だという価値観が今も染み付いています。

    筆者さんの言う通り、友達でもなんでもない、特に親しくもない人に挨拶するのが億劫になる気持ちはわかりますし、「なんでこんな奴に挨拶しなきゃいけないんだ」と思うことも多々あります。

    なので、私は「一般常識」として挨拶するようにしてます。
    「本当は挨拶なんかしたくないけど、挨拶しなかったらしなかったで後で面倒なことに巻き込まれるし」という思考があるので、形だけでも一応挨拶はします。

    部活の嫌な先輩に出会ったとしても、私は挨拶します。なぜなら、挨拶をしなかったからと因縁つけられたくないから。

    挨拶さえとりあえずしていれば、「お前この間挨拶しなかったよな?」みたいな事も言われないし「あいつ挨拶しないから一般常識が無いんじゃないか」って思われることもないと思うんです。

    私はトラブルに巻き込まれたり、一般常識のない人間と思われるのが凄く嫌なので、挨拶するようにしてます。

    筆者さんは挨拶そのものが苦痛なんだろうな、他の人に強要されてる感じが嫌なんだろうな、皆と同じ意見が苦手なのかな?自分の気持ちと反することはしたくないのかな?自分の世界で生きたいのかな?みたいな感じで受け取りました。

    私とは全然違うなぁと。故に、凄く勉強になりました。挨拶をあまり返さない人はこういうことを考えてるんだなぁと、少しでも寄り添うことができれば、逆に挨拶しない子に感じるストレスも減らせられるだろうなぁと感じました。

    駄文失礼しました。

    • ゆとり院卒 より:

      まさかこんな愚痴みたいな記事を読んで下さりありがとうございます。

      本記事は少しメンタルが落ち込んだ時にムシャクシャして書き殴ったのもあって全然まとまってない上に、一部盛ってる所もあったりと、今読み返すと自分勝手な奴だと思われても仕方が無い部分もあります。

      コメントを読ませて頂いた限り、Mindさんと一部似てる所は自分にもありますね。

      僕も子供の頃は両親や学校の教師から「挨拶は人として基本」と教わり、守らなければゲンコツを食らうのは当たり前だったので、人と会った時は必ず挨拶を交わさなければいけないと思って過ごしていた時代がありました。

      しかし元々生まれ持った気質・性格なのか自分から人に話しかけたり挨拶をしたりする事が極端に億劫だった事、初対面の人や普段あまり関わりの無い人達に対する警戒心みたいなのが人一倍どころか何十倍も強かった事もあり、声を出そうにもどもってしまって相手に届かなかったり、それが原因で注意されたり怒鳴られたり、心無い人にいじめられたりした事が何度もありました。

      それで改善されれば僕も一般的な人達と同じように自分から率先して挨拶するような人間に成長していたのだと思います。

      しかし、やはり自分自身の生まれ持った性格・特性なのでしょうか、残念ながらどれだけ周りに口うるさく言われようとも怒鳴られようとも頭を叩かれようとも、逆に萎縮してしまって挨拶の出来ない人間になってしまい、そのまま大人になってしまいました。

      挨拶をしない事でトラブルに遭う可能性が高くなる事は自分の経験上、確かにその通りで間違いないと思います。

      しかしこういった経験から自分なりに学べた事もありました。

      それは、挨拶をされなかっただけで怒ったり嫌味を言ったり、嫌がらせ・いじめ等を仕掛けて来るような人は碌な人間ではない可能性がかなり高い事です(自分もそうなのかもしれませんが・・・)。

      勿論その人の事を本気で心配して怒ったり注意したりするならまだマシなのですが、大抵の場合、挨拶すら出来ない若者を自分が懲らしめてやっている、分からせてあげている、皆の前で晒し上げて恥をかかせてやった・・・というように、ただマウントを取りたいだけじゃないかと思うような雰囲気を醸し出している人が大半でした。

      偶々自分が運悪くこういった人達に当たっただけの可能性もありますが、挨拶が出来る出来ないで人を判断してクズ呼ばわりしたり、一般常識を盾に人間扱いしないような人が沢山居たため、うまく挨拶出来なかっただけでここまで言われる事が苦痛で仕方が無かったですね。

      かと言って自分から元気良く挨拶すれば全て解決するのかと言うとそうでもなく、挨拶がきっかけで知り合った人がまさかの性格が悪い事で有名な奴だった・・・なんて事もありました。

      この場合は最初に交わした挨拶の件もありますから関係を切りたくてもなかなか切れずに余計ストレスを抱え込んで鬱みたいになり、そういった経験がトラウマになってるのだと思います。

      その為、僕は基本的に心の底から気軽に付き合える友人、親戚等くらいしかまともに挨拶を交わせません。

      見知らぬ人に挨拶されたら基本的に小さな声で返しつつ軽く会釈くらいはしていますが、挨拶されそうな雰囲気を感じた場合は気付いてないフリをしたり、何かを咄嗟に思い出したかのように振る舞う等して、そそくさとその場から離れたりしています。

      大半の内容は共感出来ない事だとは思いますが、こちらこそ長文失礼しました。

  2. もか より:

    すごく共感したのでコメントさせていただきました。

    確かに挨拶は全面的に悪いわけではないと思います。

    でも、挨拶をしない人はクズや常識なのになぜ出来ないと書かれていてすごく行き場のない辛さでいっぱいでした。

    そんな中、筆者さんのブログを目にして何もかも共感でしかなかったです。。

    学生の頃もですが社会人になっても挨拶することは常識でいて絶対だとたくさんの人は主張し、それは常識に変わっていきます。

    押し付けあって、挨拶ができない人はのけ者にしたり愚痴の対象になっていて、挨拶が別のなにかになったように思いました。。

    私は挨拶することが億劫でたまりません。周りの人に無理に合わせたり嫌われないために自分を潰したくありませんでした。。

    正直自分を傷つけるまで求めることではないと思います。それに私が思う挨拶はそんなために出きた言葉ではないと思います。

    人は間違っている正しいとか言いますがそれは人が決めた常識やルールに過ぎません。

    それを一人ひとり違う個性を持った人たちに押し付けるのはあまりにも息苦しいと思います。。

    それよりも、人それぞれ性格も違うし考えることも違うから人は人自分は自分でいいと思ってます。

    挨拶以外でも色々な考えを相手に欲求される方もいると思います。

    でも、相手がどう思うかが大切だと思うし〇〇でないといけないは私にとってずっと息の詰まることでした。

    そんなの正直生きてる心地もしません。

    もっと自分に正直にわくわくすることにチャレンジすることのほうが自分らしく生きれるし自分を大切にできます。

    みんな不満や挨拶は絶対するべきのようなことばかりで、挨拶のメリットばかり取り上げてるブログ沢山ありました。

    筆者さんのブログを見てすごく助けられました。ありがとうございました。

    長文失礼しました。

  3. 匿名 より:

    なるほど・・・、確かに。私も小さいころ、親に親戚の人にあいさつしなさい、とよく言われていました。私もあなた様と同じ考えです。なぜこんなことしないといけないの?って思ってましたね。だから、自分なりに考えてみたんです。それは、『信用』なんじゃないかな、と思っています。他人からの信用。