小中高と国語が苦手で、大人になってもその影響で苦しんだ話

国語 心の悩み

僕は昔から国語が苦手です。どれくらい苦手というと、特に登場人物の心情把握問題や、文章の要約問題が出来ないことが多かったのです。

”この作品の著者は何を伝えたかったのか書きなさい”

”どこどこの文章は何を言っているのか、何字以内で要約しなさい”

といった設問では、しょっちゅう空欄になっていたりしました。

毎回のように心情把握、要約問題が解けなかったので、たまにイライラして解答欄に

”問題の意味が分かりません”

”作者の伝えたいことが分かりません”

と正直に書いて先生に怒られることもありました。

こんな感じだったので、僕が国語のテストで点数が取れてた問題というのは、ひらがなを漢字に直したり、漢字に読み仮名をふる程度の問題、あとは暗記物や特定の文章を書き抜くだけの問題くらいでした。

スポンサーリンク

中学校からは余計に国語で点を取りづらくなった

中学の国語になってくると小学時代に比べて文章量が多くなり、ある程度長文を読みこなした上で解答しないといけない問題がそこそこ増えてきました。

小学時代の国語のテストでは割と暗記してれば解けるものが多かったり、単に指定の文章を書き抜くだけの問題が多かったので、極端に悪い点数をとることはそんなにありませんでした。

しかし中学レベルの国語からは内容についていけないことが多くなり、定期テストでも良くて50~60点くらい、悪くて30~40点くらいしか取れない状態が続きました。

平均点が80点を超えるような簡単なテストであったとしても、僕は50~60点くらいという中途半端な点数ばかり取っていました。

よく周りの友人からは、

”この問題が分からないのはさすがにやばいだろ”

”答えそのまま書いてるやん”

などとよく馬鹿にされていました。

悔しかったので、TSUTAYAで国語の参考書を購入して問題を解く練習をしたりもしたが、参考書レベルの詳しい解答解説を読み込んでも、

”なぜこの問題はこれが答えなんだ?”

”解答解説の意味が分からない”

”なんでこの人物の◯◯という発言からこのような意味合いだと推測できるんだ?”

というような感じで頭がこんがらがり、結局理解が追いつかないことの方が多かったです。

高校受験シーズンでは、ただ周りを見返すためだけに勉強を頑張り、国英数社理の5教科合計点でそこそこ良い点数を取ったりしていたが、国語だけは相変わらず駄目で一番足を引っ張っていました。

それでも入試本番では、明確に解答出来た問題はほとんどなかったものの、運良く国語で7割近くの点数が取れ、全教科合計点もトータルで合格圏内に入っていたため、何とかなりました。

スポンサーリンク

高校の国語は正直地獄だと思っていた

高校入学後からの国語の授業は僕にとって地獄でした。

高校からは現代文、小説、古文、漢文の4つの分野で構成されるのですが、現代文と小説が壊滅的に出来なかったのを覚えています。

古文漢文では、意外と言葉の意味さえ理解できていれば解ける問題が多かった記憶があり、そこまで極端に悪い点数を取ることはありませんでした。

しかし現代文と小説では、理由を問う問題、要約問題、意図を問う問題、ある特定の文についてどういった意図で書かれてるかについて問う問題など、こういった箇所で点を落とすことがしょっちゅうありました。

また高校レベルの国語となると、普段の会話では一切使わないような小難しい語彙の意味をあらかじめ把握しておく必要があったり、登場人物の心情を細かく察する能力も必要だったりして、こういった点でつまづくことも非常に多くありました。

特に小説の心情把握問題に関しては最も酷く、解答解説を読み込んでも理解できないことの方が多くて苦労したのを覚えています。

例えば、うろ覚えですが、センター試験過去問の小説に次のような問題があった記憶があります。

AがごはんをBによそった際、CがAに対して「やめてあげなさい」と発言したが、何故Cはそのようなことを発言したのか、その理由を正しく表した選択肢を次の中から選びなさい。

どんな選択肢があったかは覚えてないので細かくは書かないが、たしか解答としては、AがケチであることをCは知っていたから・・・というのが理由だったので、それに対応する選択肢が答えでした。

この小説の出だしは確か、

Aは吝嗇(りんしょく)であった。

と記憶しています。

この出だしの一文が上記の問題の答えをそのまま言い表しており、当時の高校の先生にも、これくらいは当然のように解けないと話にならないと説明された記憶があります。

しかし、僕はこの問題を解くことができませんでした。

まず、吝嗇という言葉の意味を知りませんでした。

意味は調べれば簡単に分かりますが、単にどケチといった意味合いです。

要は、Aという人物はどケチだったので、AがBにごはんをよそった際、Aがどケチ人間で極度に物を惜しむ性格であることを知っていたCは、Aに対して「(ごはんを少量しかよそわないのは)やめてあげなさい」と発言したわけです。

今考えれば普通に理解できる問題ですが、当時の僕はこれだけ説明されても理解できませんでした。

まず、Aが吝嗇(どケチ)であることと、そんなAがBにごはんをよそうことの関連性が理解できませんでした。

何故これが理解できないの?普通に理解できるでしょ・・て思うかもしれないけど、その当時の僕の頭の中はこんな感じでした。

高校時代の僕「AはBに親切にごはんをよそってあげただけのように思えるんだけど・・・何故Cにこんなに悪く言われているんだろう??? Aがどケチなことと何の関係があるんだろう??? ていうかAさんってケチな性格の割に普通によそってあげるんだな・・・実は親切な人なんじゃないの???」

今考えれば、Bにごはんをつがせたら自分の食べる分が少なくなるかもしれない・・・的なことをどケチなAは考えていたので、Bが自分でごはんをつぐ前に率先してごはんをよそったのだと理解できます。

そして、そういったAの意地汚い性格を知っていたCは、Aに対して「やめてあげなさい」と発言したというだけのことです。

本当に当時はこれが全く理解できずに頭を抱えて苦しみました。

理解できたのは高校を卒業してから2年くらい経ってからです。

こんな感じで、僕は特に小説における登場人物の心情把握問題で何度も躓いたりしていました。

人の表向きの行動の裏にある考えや思いを察する事が極端に苦手だからこそ、普通の人だったら簡単に分かるような問題で躓いていたんだと今では理解出来ます。

現代文でも正しい選択肢を解答できることなんて殆どありませんでした。

模擬試験では200点中50~100点の間をウロウロしていましたからね。

読解力が低いだけでなく、読むスピードが遅かったのも理由の一つとしてありますけどね。

点数の内訳としては、古文漢文で合計30~70点、現代文小説で合計10~30みたいな感じでした。こんな感じだったので、毎回国語の点数は安定せず、このままだと本気でセンター試験やばいなとか悩んでいました。

それでも本番では運良く6割くらい取れてしまったのと、そこまで偏差値の高くない大学を受けていたこともあり、あまり足を引っ張ることも無くてホッとした記憶があります。

大学時代~社会人時代では国語力の低さが仇となった

国語力が低いというのは大学以降も変わらなかったのと、人の気持ちがなかなか理解できないという僕自身の気質・特性のため、大学~大学院時代では色々苦労し、大学院修了後の職場でも厳しい労働環境で周りの状況や気持ちを考慮しない発言を無意識に平然と行ってしまったせいで徹底的に潰されて退職しました。

国語力が低いと国語で良い点数が取れないのは当たり前ですが、それよりもむしろ人間関係で苦労することになります。

人の話してることが一発で理解できないし、話を聞いてる時に理解できない言い回しや語彙を使われると、その度に

”さっきの言葉の意味ってなんだろう”

”この人は何話してるんだろう”

”あれ?最初に言われたことって何だっけ???”

とか余計な事を考えてしまって、気づいたら相手の話が右から左へ筒抜けになったりしてしまいます。そのせいで、

”お前は人の話を聞いてない”

”俺の言ってること分かってる??”

”お前の言ってる事なんかズレてるんだよね”

などと言われて傷つくことが多いのです。

また、人に指示された時も言外の意味を理解することが難しく、そういった理由で社会に出て他人と協力して働くことが困難であり、本当に社会人に向いてないなと感じます。

だったら勉強して国語力を身につけたらいいのではないかと思うかもしれませんが、僕自身それが困難だと思っているし、国語の問題を解きまくっていればいずれ理解できるようになってくるものでも無いと思っています。

コメント

  1. なる‪ より:

    読ませていただきましたが、共感しかないです。

    小学生のころから、国語はおろか、いくら一生懸命耳を傾けても人の話がすぐには理解できません。

    私は現在社会人一年目なのですが、上司や先輩からの指示や打ち合わせした内容が全ては理解出来ず、何が分からないのかも分からない状態です。どうすれば今の自分から成長出来るのかが分かりません。最近では自分は障害持ちなのかと考える毎日です。

    • ゆとり院卒 より:

      コメントありがとうございます。
      僕も現在進行形で悩んでいるので非常に分かります。何が分からないのか分からないというのもあるあるですね・・・。

      この悩みを他人に相談すると大抵の場合、
      「理解できるまで何度も聞き返したらいい」
      「どうしても一発で理解できないならメモを取ればいい」
      なんてアドバイスが返ってくる事が多いのですが、この2つって意外と難しいんですよね・・。

      僕の場合、もう一度同じ事を尋ねるのは相手に迷惑かなとか、怒鳴られるんじゃないかという不安と恐怖のせいで聞き返せないですし、
      人の話を聞きながらメモを取るなんて高等テクニックすぎて使えません(笑)

      大学生まではそういった気質・性格で済まされてきた感じがありますが、社会に出た瞬間から一気に周りから煙たがられたり、
      上司に”言われた事すらできない”などと罵倒されたりしてすぐ会社を辞めてしまい、今でもトラウマで社会復帰に踏み出せません(踏み出そうとすら思ってない自分も居ます)。

      発達障害持ちかと考える事は僕もあります。
      ただ、”正式に発達障害だと判定されたくない”という思いがあるので、今だに診察は受けてないですね・・・。
      ですので、”思い切って診察受けてみてはどうでしょうか”なんて勧める事は僕にはできません。

      長々と書きましたが、何のアドバイスも出来なくてすみません。

  2. 修士1年の子 より:

    とても共感できます。
    私自身とても悩んでいてこのブログに辿り着きました。
    現在修士1年なのですが、大学院の授業全てがディスカッションで、議題の意味や意図も理解できず、周りの学生の発言の内容も理解できない始末です。議題についてわからないとこもわからない….もう毎回わけわからんという感じです。長い文章を口頭で言われると途中で要点が掴めなくなって混乱状態です。周りは議題を一発で理解してるので羨ましいです。教授には何も考えてないと指摘されました。一応予習が可能なものは関連する分野の論文を読んで(100%理解しているわけではありませんが)挑むのですがうまくいきません…。主さんと同じく昔から国語が壊滅的にダメでした….。

    主さんのブログを読んで同じような方がいると安心しました。感謝しかないです。