僕は人生のうち10年以上にかけて、周りの期待に応えるためだけに生きていた時代があります。
しかし今は周りの期待なんてこれっぽっちも考えずに生きています。
本記事ではその事に関して、自分の人生のことも思い出しつつ書いていきます。
僕は元々自分の思うがまま行動する性格だった
僕は小さい頃から誰かに物事を強制的にやらされることが苦手でした。
基本的に自分にとって興味があることだけに関心を向け、周りで流行っている事や集団で行われている物事に対して無関心でした。
そんな僕を心配した大人は何度も僕のことを注意しました。
『好きなことだけやってちゃ駄目だよ』
『周りの行動にも目を向けなさい』
『人の言うことはちゃんと聞きなさい』
『自分勝手な行動はしては駄目』
このような注意をされない日というのはありませんでした。
注意されるたびに周りが集団で進めている物事に強制参加させられ、心の中では不満に思っていました。
さすがに小学校高学年あたりになるとこれらの傾向はかなり弱まりましたが、それでも油断してると周りの状況が気にならないほど物事にのめり込んでしまうことがよくありました。
そのせいで気づけば自分一人だけ集団行動の中で置いてけぼりを食らったりすることがしょっちゅうありました。
ある日、僕は学校の先生に呼ばれました。どうやら話があるというのです。
放課後、誰も使っていないような個室に連れて行かれ、次のような事を言われました。
『君はどうして周りの話をちゃんと聞かないの?』
『どうして授業中に全く別の事をしているの?』
『注意したら不満そうな顔するのはどうして?』
『そんな事じゃ将来いい大人になれないよ?』
その後も数十分間説教されたりしました。
それ以来、僕はある程度授業を真面目に意識して聞くようになりました。
それでも別の事を考えてしまう時はどうしようもありませんでしたが・・。
それから数カ月後、先生に次のように言われました。
『前に比べたらちゃんと人の話聞くようになったね』
『まだまだ自分勝手な行動取ってることもあるけど、かなりマシになった』
『この調子で真面目にしていれば将来いい大人になれるからね』
僕はこのように言われた時、なんだか妙に嬉しかったのを覚えています。
小学校高学年以降、真面目な学校生活を送るようになった
気づけば僕は、超が付く程のクソ真面目な生徒へと変貌を遂げました。
いや、変貌を遂げたというよりは真面目風を装うようになったと言ったほうが正しいかも知れません。
真面目に授業を聞き、真面目に大人の言うことを聞くことで褒められる事を覚えたので、なるべく自分勝手な行動をしないようにいつの間にか意識するようになっていました。
そうやって日々を過ごしている内に周りの評価は
『なんか抜けてる所はあるけど、めちゃくちゃ真面目な生徒』
といった感じになってました。
学校では基本的に自分のやりたいことを押し殺して人に言われた通り行動すれば、先生に褒められたり期待されたりするんだと思うと、それだけでいい気分になっていました。
しかし、ずっと真面目で居るのは疲れるので、家に返ったら自分の好きなゲームをしまくったりしてストレス発散してました。
中学校に進学してもこのような感じでして、小学時代と同じように真面目な態度で学校生活に臨んでいましたが、運悪く学校がものすごく荒れてしまいました。
学校中に不良生徒が蔓延っていましたが、僕は一切そいつらに流される事なく真面目を貫き通しました。
その結果、学校の先生からは『こんなに荒れた中学校では本当に珍しい真面目な子』という印象を持たれるようになりました。
僕にとっては自分がこのような評価を受けていることが非常に嬉しく、これからも真面目な態度で学校生活を送っていこうと思っていました。
当然荒れた中学校内では浮いてしまっていたので、不良からはよくターゲットにされ、酷い目に何度も遭いました。
それでも歯を食いしばって我慢して真面目を貫き、勉強も頑張りました。
その結果大学進学校に無事合格し、なんとか荒れた中学校での生活から逃げ切る事ができました。
しかしその代償は大きく、荒れた中学校に精神的に屈してしまいそうになりながらも無理矢理通い続けたせいか、気づけば対人恐怖症になってしまいました。
そのせいで高校ではほとんど友達を作れず、ほぼ孤立状態で生活していました。
それでも真面目な態度だけは崩さないようにし、毎日遅刻せずに学校に行き、授業を受け、休み時間中も一人で教科書を読んでいたりしました。
こんな生活を毎日のように送っていたため、同じクラスの仲間からすると本当につまらない奴だと思われているようでした(これは実際に友達に言われました)。
しかし、教師には真面目で大人しい印象を持たれていたようで、たまに『勉強頑張ってるね』『真面目なのはいいことだ』『元気すぎる子が多いから君のような子が居てくれると助かる』などと言われ、嬉しかったのを覚えています。
対人恐怖症気味で周りとうまくやっていけなくても大人に認められたら大丈夫なんだと勝手に思い込むようになってました。
これからもずっと真面目な態度で生活していけば周りの期待を集められ、もっと認めてくれるようになるのではと思っていました。
このような考え方は大学3回生くらいまで続きましたが、大学4回生になってからはこんな考え方で生きていくと逆に身を滅ぼすことになりかねない事に気づきました。
大学4回生の時に受けた就活セミナー以降、周りの期待に応えるためだけに生きるのは何か違うと思うようになった
小学校高学年~大学3回生までは、ただひたすら大人の言うことを聞き、真面目な態度で学校生活を送れば大丈夫だと思っていました。
しかし大学4回生になり、研究室配属されてからはそう思わなくなりました。
4回生になると就職活動をするか大学院に進学するかの選択を余儀なくされます。
そこで、最初に就活セミナーとやらに参加してみることにしました。
このセミナーで壇上の講師の話を聞いた時、僕はものすごい違和感を覚えました。
確か次のような事を話していた記憶があります。
◆学生時代は勉強し、良い成績を取ることで周りの期待に応えられます
◆社会では実際に成果を出すことで期待に応えられます
◆期待に応え続けることでどんどん仕事が舞い込んで来るようになります
◆期待に応え続ければ責任の大きな仕事も任せてもらえるようになります
◆責任が大きいほど失敗のリスクも大きいですが、あなた自身の成長にもなります
僕はこれらの話を聞いた時、社会人になるのが怖いと思いました。
特に『期待に応え続けることでどんどん仕事が舞い込んで来るようになる』『期待に応え続ければ責任の大きな仕事を任せてもらえるようになる』という部分を聞いた時に身震いしました。
周りの期待に応えて良い成果を出せば出すほど、自分がやりたくないような余計な仕事を任され、苦しむことになりかねないと思ったからです。
そうなってしまうと自分のプライベート時間までも削らないといけないハメになり、自由にできる時間が減ってしまいます。
周りの期待に応えれば応えるほど自由が無くなっていくのです。
逆に期待に応えられないような事が続くと無能社員扱いされ、周りの同僚や上司から白い目で見られたり、最悪リストラに遭ったりする可能性もあるのです。
だからと言って中途半端な成果ばかり出すように調整していたとしても、『もうちょっと良い成果出せないものかね?』『君の成果はちょっと惜しいところが毎回あるんだよ』などと上司に小言を言われる可能性だってあります。
こんな社会の仕組みだからこそ、人によっては耐えられずに自ら命を落としたりするんだろうなと思いました。
期待に応えても応えなくても、どっちみち苦しみや大変さが付きまとってくると考えると、僕は社会人になんて絶対になりたくないと思ってしまいました。
学生時代はリスクがほぼ無いが、社会人はリスクしか無い
学生時代は勉強をして良い成績を取ることで周りからの期待を集めることができましたし、仮に試験で失敗したとしてもやり直しが効きます。
失敗したとしても態度さえ真面目にしていれば、次にまた頑張ればいいなどと励ましの言葉をくれるなど、大抵は大目に見てくれます。
つまり、学生時代はほぼノーリスクで周りの期待を集めることが可能なのです。
しかし、社会ではとにかく成果が求められます。
良い成果を出せば、それだけ周りから期待されることになり、より大きな仕事が舞い込んでくるようになります。
大きな仕事も頑張ってこなして実績を作っていくと、さらに大きな仕事をやらされるハメになります。
これだと期待に応えれば応えるほど自由が無くなっていくのです。
逆に成果が出せないと、周りから白い目で見られたりすることになります。
人によってはあからさまに無能扱いしてきたり、罵倒してきたりするでしょう。
最悪の場合は強制的に仕事を辞めさせられる事になります。
つまり、社会人は何をやるにしてもリスクが付きまとってくるのです。
成果を出すと期待と信頼を集めることができますが、自由が犠牲になります。
逆に成果を出さないでいると期待と信頼が犠牲になり、周りから白い目で見られたりパワハラを受けたり、最悪仕事を辞めさせられる可能性も出てきます。
社会で大きな期待と信頼を築けても少し問題があれば簡単に崩壊する
社会で大きな成果を残している人ほど自由がありません。
中には自由にしているような人もいるかも知れませんが、大抵はいつも大きな仕事に追われて忙しくしていると思います。
そんな大変で立派な地位に居る人達でさえ、一つ問題が発覚すれば一気に地の底に転落してしまうことがあります。
最近の事例で言うと、カルロス・ゴーン前会長の事とかですね。
有名なので説明はしませんが、一気にイメージが悪くなり、期待と信頼を完全に失いましたよね。
社会における期待と信頼ってその程度のものなんです。
たった一つでも問題が発覚しただけで一気に崩れ去る期待と信頼を構築するためだけに長い時間を掛けて努力し、身を粉にして頑張り続けるというのは、その分だけリスクが蓄積していくことにも繋がり、いつかどこかでボロが出て破綻してしまうものだと思います。
おそらく、カルロス・ゴーン前会長の件は氷山の一角に過ぎないと思います。
資本主義社会のトップ層に君臨する人達に暗い部分が一切無いかというと、そうとは言い切れません。
何かしら一般市民に知られたくない闇を抱えている事は間違いなく考えられると思います。
そういった闇がこれから発覚していく度に、今まで素晴らしいと思われていた権威ある人々が奈落に突き落とされていくでしょう。
資本主義社会は、少し問題が生じれば一気に崩れ去る期待と信頼だけで成り立っているようなものなので、この社会の仕組みが続く限りこういった問題はこれからも起こり続けるでしょう。
期待を満たすためだけに生きても幸せになれるわけではない
現在の社会では周りの期待を満たせば満たすほど自由が奪われていき、大変な生活を強いられることに繋がります。
周りから期待されることが大好きな人や、大きな仕事を任されることに喜びを感じる人であれば、下手なヘマをしない限りは、この資本主義社会で幸せに生きられるでしょう。
しかし僕のように大して仕事ができるわけではなく、勉強くらいしか取り柄が無い、仕事を任されるのが嫌、できれば自由に過ごしたいと考えているような人は、周りの期待と信頼を築いても幸せにはなれないと思います。
まあそもそも仕事がうまくできない時点で期待を集めるなんて出来っこないのですが、その分周りから白い目で見られて精神的苦痛を味わうハメになるので、やっぱり働きたくないと思うわけです。
会社員ではありのままの自分を表現できない、というのも理由としてありますね。
ありのままの自分が職場とマッチしていれば問題ないかもしれませんが、大抵はそうはいかないでしょう。
下手すれば干されることにもなりかねません。
ネットビジネスであれば、よほど変な意見を書き込まなかったり道徳的に反した事を発信しない限り、ありのままの自分を表現できます。
また社会人のように無理して周りの期待に応えずマイペースで取り組める面もあるし、それでマネタイズすることだって出来ます。
今はこういったネットビジネスの可能性を信じて頑張っているところです。
なんだか話が脱線したりしてまとまってない感じになりましたが、最後まで読んでくれてありがとうございました。
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